モロベ州アセキ・ミヤムヤ



1800年代後半から1900年代の初め頃にパプアニューギニアに探検に来た白人達が記した色々な 探検話があるが、ここアセキとミヤムヤは格別な地域ではないだろうか。
なかでもミヤムヤは、この白人の記した探検話がもとで地域の名前までも変えなければならないはめに なってしまった。 以前この地域の部族は、クククク族と呼ばれ、周囲の部族から恐れられていたらしい。
なんと1930年代(1950年代頃もやっていたのかも・・・・)頃までこの部族では食人の習慣があったらしい。
今でも年寄りに話を聞くと、クククク族は勇敢で戦いにはほとんど負けた事がなく、また戦いのたびに 敵を威嚇する意味において倒した敵の戦士を相手からわざと見える丘の上でよく食べたものだ・・・・ と言うような話を聞く事が出来る。

クククク族では古来埋葬は、鳥葬(風葬)と言う形を取ってきたらしく、山の上の石積みまで行けば先祖の 骨を見る事が出来ると言われたが、疲れる事を極端に嫌う私にとっては縁遠いものになってしまった。
またこの地域では、勇敢な戦士や愛する家族といつまでも共に過ごしたいと言う事からミイラを作る 習慣もあったようだ。 ミイラ作りは意外に簡単で、まさに人間の燻製を作るようなものらしい、とにかく煙で燻して・・・・ と言う作り方らしい。このミイラも、今でこそ作ってはいないが、今でもミイラは大切に守られている。
こんな話ばかりを考えながら、このミヤムヤに行った時にはさすがにあまり気分の良い思いはしなかった。

ブロロから4駆で山道をひたすら走る、ブロロと言えばニューギニア島を縦に走るまさに背骨とでもいえる 4千メートル級の山脈、スタンレイ山脈の北側である。この山脈を登りきり山脈の南側であるポートモレスビー 側に出てこなければならない。
この山越えの道の、登りも下りも山肌にへばりつくような山道で谷側はまさに 千尋の谷である。
8月とはいえ、ブロロからアセキにかけての地域は雨量が多いところで、土砂崩れはあるは、 道は泥沼、霧は出るはと、自分で運転していなかったら生きた心地のしないような山越えである。

ブロロからアセキを抜け目的地のミヤムヤへ、片道6時間ちょっとの山道を何とか生き長らえての御到着。
やっとの思いで着いたミヤムヤではあったが、やはりこの地域パプアニューギニアのほかの地方と基本的に 違うようだ・・・・やけに閉鎖的な空気を漂わせている。
他所の地方であれば、どんな奥地に行っても外国人と 言う事からか、あまり敵対心と言うものを感じさせないのだが・・・・ここミヤムヤだけは自分が余所者である という事をビリビリと感じさせられた。

村に入り話を聞いていても、いつ後ろから襲われて食われても不思議はないな・・・・などと感じさせる気配の ある村であった。爺さんの人食いの話、戦闘の話などを聞いていると、爺さんの異様なほどに血走った眼が 怪しく光を放っているようにも思えてきてならず、嬉しそうに昔の残虐極まりない話をする姿に一種異様な ものをさえ感じさせられた。
ただ、この平和な時代にこの手の話を聞くと、残虐極まりないと思うのだろうが、その当時生きるか死ぬか、 殺るか殺られるか、という時代であれば女子供とて敵は敵、子供を残せばいずれはその子に仇を討たれることに・・・・ いっそのこと皆殺しにしてしまえ・・・・という事なのであろう。

こんかいの旅ほど重苦しい空気に包まれての息苦しい旅もなかったように思えるが・・・・この後にも何度 かこの重苦しい空気を求めて訪ねている自分は何ナノだろう・・・・・・・・。

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